マクロビアン days

日々の活動や、お知らせ、食についての情報など、幅広く発信していきます。

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

見慣れた風景が心の中から遠のいて行く・・・ 

 昨日、賠償問題の目的もあり、いわきの自宅へ四度目の帰宅をした。

 何度帰っても、30年間住み慣れた家の様子は、いつもとまったく変わらない。梅雨時の新緑が一杯の豊かな山の風景だった。

 異なるのは、異様な自分たちの姿。猛暑の中、長靴を履き、ビニールのカッパを頭からすっぽりとかぶり、ゴム手袋をはめ、マスクを二重に装着した放射能完全防護のスタイル。

 汗がカッパの中を滝のように流れる。原発事故の始末に追われる作業員のことがふと頭をよぎる。こんな格好で一体何が出来るんだろう?放射能の始末どころか、あっと言う間に熱中症で倒れてしまう。彼らは、なんと言う過酷な仕事をしてくれているんだろうと・・・。

 そして、そんな彼らを知りながら、今でも他人事の言動で明け暮れる企業家、政治家、学者たちのなんと多いことか、情けなさを通り越して哀しくなってしまう。彼らこそが真っ先に、瓦礫の撤去をやり、放射能の汚染地帯を歩くべきだ。そんな心が、ふっと湧き出る。

 線量の高い家への帰宅は、出来るだけ親だけで済ませたいが、長男は、なぜか絶対に行くと言う。もう大人だから駄目とも言えない。危険を知りながら、彼なりに何かを確かめたいことがあるのだろう。この家も、やがて、まったく戻れない場所になってしまうかも知れない。そんなことを想うと、同行させるのも断るのもどちらも辛い。

 いつものことながら、自宅周辺の放射線量を測定器で測る。かすかな期待に反して、最初の測定とほとんど変わらない線量の高さだ。いわきは、とっくに安全宣言を出しているが、この山奥は、まだ決して安全とは言えない。話題の飯舘村とほとんど変わらないくらいの高い値が出てしまう。全国どの地域でも、公表はされてはいないが、ホットスポットと言われる場所は沢山あるに違いない。まだ測っていないから分かっていないだけなのだ。

 哀しいのは、行くたびに、測るたびに、住み慣れたこの地が少しずつ、心の中から遠のいて行くことだ。見慣れた家が、庭が、風景が、思い出が・・・。この風景は何も変わらないはずなのに、なぜかだんだんと心の中から薄れて行くようだ。放射能で家を追われた誰もがきっと、そんな気持ちを感じているに違いない。

 原発事故は、地震や津波の災害とは大きく異なる。自然災害に復興は可能だが、放射能の汚染には復興の道は閉ざされる。一度完全に汚染されてしまった場所は、過去や現在は勿論のこと、未来さえも人間から奪ってしまうのだ。この美しい日本の風景の、どこでもそんなことが起こってはいけない。

 嬉しかったのは、池に沢山のおたまじゃくしが居たことだ。ここ数年めっきり減っていたのにうじゃうじゃ居た。まもなく、主の居ないこの池では、あの懐かしいカエルの合唱が響き渡るに違いない。せめてもの嬉しいことだった。「放射能でカエルは元気になったのかもな!」哀しい冗談がまた一つふと口から出てしまった。

 青空のもと、新緑一杯の中で、全身をカッパですっぽいりと覆った息子が、子ども時代を懐かしむようにブランコに揺られている。その後姿がなんとも切なかった。
スポンサーサイト

[ 2011/06/26 17:26 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)
我家はあの山の家に3月の下旬に一度戻ったきりですが、今同じようにあの風景が心の中から薄らいでいっているのを感じています。
5月ごろまでは、何を見ても「山のあの家では同じように植物が育っているだろうか?」とか、「あそこに置いてあるあの本を今すぐ読みたいのになぁ」とか、「この季節に追い払わないとスズメバチがデッキに巣を作ってしまう!」…などと、1日たりとも想わない日は無かったのに。
まるで、あそこでの毎日が“夢”だったように、今は現実感を帯びていません。
まだ、あそこにあの日のままで「ある」はずの、自分たちの家が。
でも、ネコを見ればチアキさんを思い出し、お茶を飲む時はヨシコさんを思い出し…あそこには確かに我々の日常が存在していたのだとふと何かの折に思い出します。
宮城から北の被災地とは違う、何もできないフクシマのような土地を、これ以上増やしてはいけないし、こんな思いをする人がこれ以上増えてはいけないと、なぜ経済界の方も政治家の方々も考えないのか?自分が同じ“被災者”にならないと本気で信じているのか?

ムスメが今日、久しぶりに「おやまのおうちにかえりたいなー」と、口にしました。
帰れないことは切ないけれど、あの日々を覚えていて欲しいと親として思います。
[ 2011/07/01 11:02 ] 靖子 [ 編集 ]
> 我家はあの山の家に3月の下旬に一度戻ったきりですが、今同じようにあの風景が心の中から薄らいでいっているのを感じています。
> 5月ごろまでは、何を見ても「山のあの家では同じように植物が育っているだろうか?」とか、「あそこに置いてあるあの本を今すぐ読みたいのになぁ」とか、「この季節に追い払わないとスズメバチがデッキに巣を作ってしまう!」…などと、1日たりとも想わない日は無かったのに。
> まるで、あそこでの毎日が“夢”だったように、今は現実感を帯びていません。
> まだ、あそこにあの日のままで「ある」はずの、自分たちの家が。
> でも、ネコを見ればチアキさんを思い出し、お茶を飲む時はヨシコさんを思い出し…あそこには確かに我々の日常が存在していたのだとふと何かの折に思い出します。
> 宮城から北の被災地とは違う、何もできないフクシマのような土地を、これ以上増やしてはいけないし、こんな思いをする人がこれ以上増えてはいけないと、なぜ経済界の方も政治家の方々も考えないのか?自分が同じ“被災者”にならないと本気で信じているのか?
>
> ムスメが今日、久しぶりに「おやまのおうちにかえりたいなー」と、口にしました。
> 帰れないことは切ないけれど、あの日々を覚えていて欲しいと親として思います。

やっちゃん

返事書かずにすみません。
三日前に四度目の帰宅を果たしました。
もんじには、坊さんとちき夫婦、ひでおさん、よしこおば、坂本夫婦、そして、ひろゆきさん夫婦とかずたみさんが、
時々泊まりに戻っている、そんな感じです。
いやあ、ほんとにとわだは、絶滅部落になってしまいました。

私たちも、だんだんと戻れなくなりつつあることを実感しています。
まったくみつきちゃんの言うとおりだよねえ。寂しい限りです。
行く回数が増える度に、あそこに住んでいた実感が薄れていくようで、ほんとに情けない。
まるで過去がすべて夢のようです。放射能の怖さですね。

これからどうふくしまの子どもたちを救うことが出来るか?考えたいと思っています。
また、時々ブログ書いていきますので覗いてください。たまちゃんにもよろしく。宙八

[ 2011/07/11 14:30 ] m.shoko [ 編集 ]
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。