マクロビアン days

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危機管理について思うこと 

3月11日の地震直後から始まった原発の危機的状況は、未だに終息を見ていない。
むしろ、すでに放射能は、破壊された建屋から空中に、そして海に、垂れ流し状態だ。
放射能の汚染は、当初、誰もが怖れていた事態のままに、今のこの瞬間にも続いているのである。
これが終ったのだと考えるのなら、あまりにも我々日本人は馬鹿である。

現在流れ始めた世間一般のあたかも事故が終末したかのような空気には、ある種のたくましさも感じるが、
あまりにも楽観的なこの空気には、危機管理に対する日本人特有の危ない国民性を感じる。
同じ日本人として、かなりの違和感を感じてしまうのだ。
有事の際の「危機管理」とは一体何か?我々はどうあるべきか?そして、どう行動すべきか?
今回ほど度々考えさせられたことはなかった。

今日友人から来たメールに、友達に放射能汚染の危険を伝えたことに対して「あんまり怖いこと言わないでよ」と嫌がられてしまったとあった。「危ないことは言わない方がいいのか?」との友人の戸惑いが伝わって来たメールだった。事故後の二週間、政府のコメントやテレビの報道には「健康にただちに影響はない!」「安全!」「安全!」と言う言葉が溢れている。汚染量をレントゲンやCTスキャンやフライトに比べて安全だと言うことには、じつに危ういたとえを感じてしまう。安全を大合唱する政府もメディアも、本当に、国民や視聴者を危険から守ろうとしているのだろうか?

これは、私たちが、地震直後に福島第一原発から直線距離にして24キロの自宅を飛び出した時から1000キロを旅する間、避難の先々でぶち当たって来たとても奥深い問題だった。どうして私たちが、いわきから四国にまで避難する結果になったのかについては、後日、報告しようと思うが、我々と避難を共にした若者たちが、行く先々で、家族や友人たちに危険を知らせようと声がけをした時、いつも、危機管理に対する大きな温度差と疑問を感じた。昼夜問わず注視し続けたテレビやネットの画面では、誰よりも、事実を正直に伝えようとしない政府や報道にある種の憤りさえ感じた。そして、その状態が、未だに変わらず続いていることに「日本人はこれで大丈夫なのだろうか?」と言う憂国の念さえ感じている。

それは、私たちが、必要以上に危険を感じて行動したと思っているからではない。むしろ、今でも、刻一刻と迫る危険さは、前以上に強く肌で感じている。心配な事態がすぐにやって来ると感じたら、きっと、前以上に素早く遠くまで逃げるだろうと思っている。

危険から身を守る「危機管理」とは一体何だろうか?政府や報道のように、安全、安全と言い続けることだろうか?私は決してそうは思わない。安全であることは100パーセント誰もが願っていることであるし、結果として安全であったとしたら何よりも喜んでいいことなのだ。嬉しいことはない。誰もがきっと同じ気持ちだろう。

しかし、政府や報道の楽観的過ぎる情報が、もし、人々の心に危機管理の気持ちを失わせ、今、本当に危険な事態が勃発したたら、果たして人々は危険から身を守ることが出来るだろうか?その事態に対して、政府や報道はどう責任をとるつもりなのだろう?もうこれまでに、そうした楽観的情報で悲劇に遭遇した人たちは沢山いる。彼らが受けてしまった災難を、政府や報道はどう救えると言うのだろうか?

情報を正直に伝えることは、政府の、報道の国民に対する義務である。そこに、何らかの意図や隠し立てがあってはいけない。危機管理とは、どれだけ危険な事態が起こり得るかを予想し、その最大限の危機的事態を回避するための情報を、出来るだけ正確に、詳細に、正直に国民に伝えることである。その情報を得て、どう自らのいのちを守るかは、最終的には、国民一人一人の判断に委ねられる。そのためにも、可能な限りの正確な情報を一早く公開しなければならないのだ。

「怖いから安全だと思いたい」と考えるところに、危機管理は存在しない。パニックになると困るからと言うのも、政府の立場としては分からないでもないが、すでに危機的情報を予知していのちの危険を感じている人々に対してパニックになるなとは、ある意味ナンセンスな言葉である。例え、パニックが起こっても、安全に国民を誘導することこそ政府や報道の仕事なのだ。

こんな惨事に日本人は、粛々として事の解決に当たっている。と海外のメディアが伝えた。この感想には、日本人の優れた国民性に誇りも多少感じるが、一方で、これには、じつに危うい反面が潜んでいることも痛感する。危険の自己管理ができない、自立心のない、自己判断をしない日本人には、危険な事態を正面から自らの責任もって受け止める力がないと思えるからだ。そこには、いつも、「全体第一、死なばもろとも」の脆さがある。

一部の人間のご都合主義の危機管理情報に安穏としていてはいけない。情報は山ほどあるが、大事なことは、それをどう見て判断するかの判断力が今最も問われているのだ。本当の民主主義とは、自立した人間の上にしか実現しないものだと思う。果たして日本は、本当に民主主義の国になっているのだろうか?政府も報道も私たちも、今こそ真剣に考えなければならない重要な課題である。宙八



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[ 2011/03/29 23:40 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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