マクロビアン days

日々の活動や、お知らせ、食についての情報など、幅広く発信していきます。

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守破離 

こんにちは、きおまです。
春がいよいよすぐそこに来ているような感じがします。

今日は半断食セミナーの中でも伝える内の1つですが「守破離」について書いてみます。

守破離は日本の武道や茶道などの子弟関係のあり方や、日本文化が進化・発展した過程のベースとなる思想などですが、「マクロビオティック」というものを漢字変換すると「食養道」でしょうか。

「守」は物事を身につける際には、まずその型を覚えることです。マクロビオティックでもある程度の型はあります、どういったバランスで食べるとか、いろいろ。

「破」は、まずその型を守って覚えたら、破ってみる、他のものも取り入れて見るということです。いのちというのは全員違うもので、同じ型が当てはまるものではないため、型を自分のいのちにも適応できるようなアレンジメントが必要です。

玄米を食べれば良い、先生の言ったことを守らなければいけない、しかも最初に頭で良いものだと思えば思うほど守ろうと思ってしまう、むしろそれが自分を縛るようになってしまい、結果窮屈な人生になってしまう、これでは本末転倒です。

「離」は「守」「破」を通過し、何事にもとらわれない(離れていき)自分の境地を作り、生み出していくようなことです。
破っていく過程で型をじぶんのいのちに合わせてアレンジしながら、最終的には自由自在になっていく。

「食養道」という無限に広く、食を通して自然や宇宙と繋がる世界を実体験していくものの中では、この「守破離」という考えはとても良いと思います。

僕はたまにマクロビオティックに対するネガティブな言葉を聞きますが、「○○は食べちゃだめ」といった「守」に固執するあまり自分自身が窮屈になってしまっている人たちに対するイメージなのかもしれません。

最初から最後まで「守」の人よりも、「守→破→離」を経験した上でやっぱり「守」が一番、となる人では気持ちの自由度も楽しさも全然違ってくると思います。
Macro(大きな)bio(いのちの)tic(術)といった語源があるように、より大局的に自由自在に考えていくとマクロビオティックがもっと面白いものになっていくような気がします。

今日は、セミナーの講義の1コマを引用しての「守破離」についてでした。

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[ 2013/03/14 10:36 ] 「食」について | TB(0) | CM(0)

食の執着について 

こんにちは、ハシモトキオマです。

今日か過去に行った宙八の寄稿、第二弾です。

食の執着について、です。

「食の執着について」 橋本宙八

病気になった人に健康食を薦めると「好きなものが食べられないくらいなら死んだ方がましだ!」と言う人がいる。

それならどうぞと好きなものを存分に食べて本当に死にそうになると、

そういう人こそ「死にたくない!」と騒ぐ。

人は何を食べても自由だが、好きで食べたものの責任くらいはとらなければいけない。

なぜ、人はこれほどまでの執着心を食に持つのだろうか?

どんなにすごい金持ちでも、偉い学者でも、こと食に関する限りは、そんな才能のある無しにかかわらず、

食への特別なこだわりがある。

そのこだわりを捨てきれずに結構多くの人が辛い人生をやっている。

では、執着心は無くならないものかと言えば、決してそうではない。

食が変わり体質や状態が変われば、「あのこだわりは何だったのか?」

と自分でも驚くほどあっさりと消えてしまうものでもある。

食への執着心とは、食べ物が体内に摂り込まれて血液や細胞となり、エネルギーとして消費され、

不要となったものが体外に排出される際に喚起される生理現象であり、心理現象である。

肉や魚の好きな人が生涯それを食べ続け、チョコレートの好きな人がチョコレートを手離せない。

身体が持つ恒常性(同じ状態を保とうとする性質)から生じる身体や心の自然な欲求であり、

それに対する執着心が変わらないのは、食が同じで、体質や状態、味覚、思いまでもがいつまでも変わらないからである。

身体に良いものを食べ続けていると、過去の食に対する執着心がいつの間にか薄れていることに気づく。

健康になるための食事は、勇気を持って試してみることをぜひお薦めしたい。

言うまでもなく、人間は、食べ物を食べて生きている。

食べ物が、その人になり、その人とは、その人が好んで食べる食べ物のお化けでもある。

その人の食べ物を知ると、その人がどんな人かも分かるし、その反対に、どんな人かが分かると、

その人の食べ物がどんなものかもある程度は察しがつく。

そのくらいに、人と食べ物との関係は深い。

いのちは食べ物によって造られているのだから、ごく当たり前の話でもある。

[ 2013/01/21 10:51 ] 「食」について | TB(0) | CM(0)

食養生とは 

正月が終わり、3連休も終わり、通常の生活が始まったと思います。

正月休みで食べ過ぎた方もいると思いますが、

食べる事で健康にも病気にもなるという「食」について、過去の宙八の書いた原稿などを抜粋して紹介していきます。

最初はNPOのニュースレターに寄稿していた内容から1つ。

「食養生」とは?(橋本宙八)
           
「食によって、身体を整え健康を保つこと。あるいは、傷病を治癒すること」と辞書にはある。

人間は食べて生きているのだから、食養生は、健康維持には必要不可欠な事と言える。
 
しかし、美食、飽食が豊かさのステイタスになっている現代では、

多くの人が、このことを忘れている。

病気が増えるのも当然である。

また、病気の原因も多様化、複雑化し、治療が困難になり、

病気になる前にこれをどう予防するかと言う予防医学の世界が注目され始めている。

日本では、こうした方法が「未病を治す」と言う言葉で、

古来より「養生」として広く大衆の間で実践されて来た。

中でも「食養生」は、養生の代名詞となるほど身近な病気予防法であった。

3500年前に書かれた中国最古の医学書「黄帝内経」では、

「病気は、症状だけを問題にするのではなく、その人の習慣や感情の傾向、食事、住む土地、季節などとの関わりから、人が健康で寿命を全うするためにはどうあるべきかを、総合的、哲学的な観点から診るべきだ」と言っている。

食の嗜好には、その人間の考え方、価値観、生活習慣が見事に現れている。

だからこそ、その転換なくして健康になることや、病気を治すことは至難の業なのだ。

たかが食、されど食、食養生の難しさがここにある。

中国の「周礼」という書物には、医師の階級を「食医」「疾医(内科医)」「傷医(外科医)」「獣医」と四階級に分け、この中で最も重視されたのが食医であったとされている。

日本の伝統医療でも、上医(食医)、中医(漢方医)、下医(鍼灸医)と言った見方があった。

目先の結果を重視する現代では、外科的手法が最も注目を浴びているが、

病気が、「その人間にとって最も良い生活環境とは何か?を学ぶことにある」

の本質的観点から言えば、今ほど、生き方、価値観が問われる「食養生」が必要とされる時代もない。

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[ 2013/01/15 18:30 ] 「食」について | TB(0) | CM(0)

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